パルスオキシメーター開発経緯 その①

2023年9月29日

 『パルスオキシメーター開発経緯』の記事は、北大第2外科同門会誌 第46号に寄稿した『コロナ流行下、世界での利用が更に高まっているパルスオキシメーターの開発の経緯について』から抜粋したものである。この論文はあらためて、日本語論文と英語に翻訳した論文を用意したので、そちらも参考にしていただきたいと思う。

 小生は、1960年に北大第2外科に入局し、外科研修生として診療に従事していたが、肝障害を起こし、札幌から近い簾舞療養所での生活を医局から勧められ送っていた。時間の余裕があったので、午前中の診療を済ますと北大応用電気研究所の望月政司教授の教室に通って勉強しようと決意した。北大応用電気研究所はユニークな研究所で基礎科学から医学まで幅広い分野の専門家を集めており、第2外科の先輩の沢口亮三先生、酒井圭輔先生達が白金電極を用いた心内シャントの検出、国産心臓ペースメーカーの開発、電極血流計の開発応用などの共同研究を行っていたと記憶する。望月教授は肺の酸素拡散理論の世界的な研究者であり一番厳格な教授なので選択した。当時はグロー放電式呼気ガス分析装置の開発、酸素拡散に関する望月理論の実証実験などが行われていた。後に酸素飽和度測定装置の開発に関与するとは考えてもおらず、日本生理学体系の呼吸生理で酸素に関する項目の責任者のもとに通っていたなどとは当時自覚していなかった。

 その当時、簾舞療養所の所長をしていた久世彰彦先生からある日突然呼び出された。今度、厚生省が全国の主要な療養所にIRCU(呼吸集中管理室)を作る事になり、簾舞療養所が選ばれたので貴方に任せるので必要な機種を選定して欲しいとの内容であった。当時のお金で1200万円を超えていたと記憶する。ベネット型の人工呼吸器、血液ガス分析装置はすぐ決まったがほかの施設にはない呼吸器モニターを探していたら、日本光電の営業部長をしていた杉山さんから、日本光電の研究室内でICGを用いた色素注入法による心拍出量の測定の研究をしているグループが面白いことをみつけているとの話を聞いた。それは青柳卓雄さんたちのグループで心拍出量測定のカーブの上に新しい脈波が観察され、この脈波を利用すれば新しいオキシメーターが作る事ができる可能性があるとのことであった。そこで250万円の予算を出し特注品を作って貰う事になった。やがて新しい原理に基づく酸素飽和度測定装置が簾舞に到着し、最初の動物実験には青柳、山口氏も参加して装置の調整にあたった。日本光電は同じものをもう一台試作し、札幌医大で臨床テストを行った。

 しかし、この時点でパルスオキシメーターの研究から一切手引いた。彼らが再び研究を始めたのは後にアメリカで爆発的な臨床応用が始まった後からである。

 私はこの試作装置を、酸素研究に関する世界的な設備を誇る北大応用電気研究所生理部門に持ち込み性能実験と療養所の受け持ち患者への臨床応用を引き続き行った。当時の北大応用研には工作の新居さん、ガラスの三浦さん、電気、コンピューターに詳しい進藤さんなど応用電気の多数の英語論文作成を助けた人達がおり、日ごろの飲み友達になってくれていたので、実験は彼らの助けを借り、ベストな状態で行う事が可能であった。

 簾舞療養所の病室で世界初めてのパルスオキシメーターの臨床応用が行われた(写真)。患者さんは結核治療のために胸郭形成術を受けた方で酸素濃度はパルスオキシメーターで炭酸ガス分圧は赤外線を利用したカプノメーターで連続測定し、酸素吸入後の炭酸ガス濃度の上昇傾向、軽い運動の影響、ダイアモックス投与の影響などを調べ、1975年、『新脈波型イヤーピースオキシメーターの性能―非観血的連続的酸素濃度監視をめざして―』を呼吸と循環23巻8号に投稿した。後にカルフォルニア大学のSeveringhaus教授がパルスオキシメーター開発のルーツ探しの時に指摘した論文がこれである。

パルスオキシメーター開発経緯 その②に続く