パルスオキシメーター開発経緯 その②
世界初の指尖型パルスオキシメーターの臨床テストと日本外科学会雑誌への投稿
1977年、外科の医局に持田製薬のプロパーがミノルタカメラの技術者と共に現れ、実は今度指先で酸素濃度を測定できる装置を製作したので臨床で評価して欲しいと依頼があった。その装置と患者さんは、写真に示されているものである。
術前に放射線照射療法を行い、術後に低酸素血症に陥り、苦労した患者さんであった。何より耳介型よりも簡便で出力も安定していた。
この臨床成績は1977年ワルシャワで開かれた12回ヨーロッパ実験外科学会で、中島、久保良彦先生(当時:旭川医科大学第1外科助教授、現在:旭川医科大学名誉教授、社会医療法人 元生会 森山病院名誉院長)、鮫島夏樹先生(当時:旭川医科大学第1外科教授)の連名で発表された。これが指尖型パルスオキシメーターの世界初めての臨床応用報告である。
国内の学会に発表したときは、麻酔科の若い医師に血液ガス測定装置があるのに、なんでこのような装置が必要なのか?と言われがっかりしたが、ワルシャワではフランスの麻酔科の教授が立ち上がり、非常に面白い研究だとほめてくれたのが記憶に残っている。
その後、臨床応用例が増えてきたので、外科学会雑誌の41巻第1号に「新脈波型オキシメーターの使用経験-術後呼吸不全の動態監視のために-」を発表した。この論文は後に持田製薬によって英文に翻訳され、OXIMETのアメリカでの販売の際、参考文献として配られた。この英語翻訳論文が後のアメリカでのパルスオキシメーターの爆発的普及の一因となったと思う。
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