パルスオキシメーター開発経緯 その③

2021年5月15日

千葉大学呼吸生理学 本田良行教授から手紙

1986年の暮れ。呼吸生理で有名な千葉大学医学部生理学の本田良行教授から突然の手紙が小生の所に届いた。実は本田教授が同じ年の7月にカナダのバンクーバーで開かれた国際生理学会に出席した際、旧知のカルフォルニア大学の麻酔科のSeveringhaus教授からパルスオキシメーターの起源について調べているので協力して欲しいとの申し出があったとの事であった。

その際、パルスオキシメーターを発見したミノルタカメラの中島という人を探したい。その人の論文は麻酔関係の雑誌に見つけることが出来ると言われたそうである。そこで本田教授は小生が書いた呼吸と循環を探し出して連絡してきたとの事であった。この過程の中で小生の論文の引用文献の1番目の日本ME学会の抄録集の中に手書きの青柳さんの抄録があることを見つけ、現在ではパルスオキシメーターの原理の発見者は青柳さんで、耳介型、指尖型パルスオキシメーター共に最初の臨床応用を行い、発表したのは小生であることになっている。

その事実を確かめるべく1987年Severinghaus教授が日本に来訪し、東京ヒルトンホテルで会った4人揃った珍しい写真である。

左から青柳貞雄氏、Severinghaus教授、本田教授、中島である。