森山メモリアル病院 創立20周年を迎えて

社会医療法人 元生会
理事長 森山 領

 2000年(平成12)に新築開院した森山メモリアル病院は本年20周年を迎えることができました。
 病院の発展にご尽力いただいた梨木名誉院長、中島院長を元とする全ての病院職員の皆様方のご努力に敬意を表するとともにこの間、多くのご支援をいただきました行政機関、医療福祉関係並びに関係諸団体の皆様方には心より感謝申し上げたいと存じます。

 森山メモリアル病院を振り返る時、同じ場所に昭和31年に開設した「森山病院旭町分院」の存在を忘れてはなりません。

 まだ森山病院本院が今にも崩れそうな古い病院であった時に、リハビリテーションを主体とした慢性期医療のための病院を建設したのです。現在では当たり前となった回復期リハビリテーション及び療養型病院を63年前に建設したのですが、先代院長、森山元一にとっては将来を見据えた当たり前のことでありましたが、当時としてはその構想と事業を理解する人は少なく、行政機関をはじめ医師会、さらには森山病院内からも、増え続ける患者様の対応に追われる中で、病院が2カ所に分かれることへの不安や、全国的にも聞いたことのないリハビリのための専門病院が将来的に必要になるなどとは考えられなかったことなどから反対も多かったと後日談で語っています

 最終的に現在では逆に療養型病院、回復期病床、回復期リハビリテーション病床を推し進める行政が、「医療機関は一つの施設において完結されることが望ましく、機能分化された複数の病院を持つことは好ましくない」との当時の見解によりやむなく森山病院の増築増床を図り「旭町分院」は昭和48年に休院としました。
 閉院ではなく休院とし、解体病院の一部を残しておいたことには大きな理由がありました。森山病院にやむなく集約し増改築を行った時の落成式典において先代は「将来は必ず慢性期やリハビリテーションのための機能を持った病院が必要となる時代が到来し、その時に再び森山病院を支える病院として復活する時がやってきます」と語っていたのが印象的です。
 その時はすでに総合化医療構想を発表し「健康・医療・福祉」の総合的発展を目指していた先代はさらに「今は公的病院も民間病院も医療を同じように行えば間違いない経営はできているが、医療の発達とともに公的病院とは同じ土俵で戦うことができない時代が到来する。その時は公的病院がやらないこと、やれないことをやっていなければならない」ということを力説しました。
 
 その言葉通り、特別養護老人ホーム、健康のための病院隣接型のアスレチッククラブなど多くの人々に受け入れられるには早すぎると言われる北海道初、旭川初と言われる施設を誕生させました。

 しかし「旭町分院」の復活事業を手がけることなく脳梗塞によりリタイアすることとなってしまい、私の代になってしまいましたが、先代の言葉通り遅ればせながら行政機関も医療機能分化の必要性を叫ぶようになり、その名前に、これまでの経緯を踏まえて「森山メモリアル病院」として復活しました。

 「森山メモリアル病院」は元生会のみならず森山グループ全体が発展の道のりを歩み出した原点の事業であり、施設なのです。

 旭川初の社会医療法人認可を受けた元生会はその認可基準である「地域及び僻地医療への貢献」「救急医療の貢献」は数値化され実効を求められておりますが、大事な項目に医療機関でありながら経済活動が認められており、病院債の発行も可能なことであります。

 これは行政も、「将来の民間病院は公的病院とは異なり、診療行為を中心とした医療行為だけでは経営が難しくなりますよ、公的病院にはかないませんよ、知恵を絞ってくださいね」という暗示に他ならず、そのように行政施策も進めますよと言っていることに他なりません。

 「森山メモリアル病院」創立20周年を節目に改めて森山グループ全体としての将来を見据えた取り組みに挑戦していかなければなりません。
 それが、市民に対する元生会の役割ですし、努力している職員が報われることにつながり、さらに支えて下さった多くの方々へ「感謝の心」を表すことになると信じております